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東京地方裁判所 昭和30年(ワ)4204号 判決

原告 皆川延男

被告 三井生命保険相互会社

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一請求の趣旨

「原告が被告会社東京本社料金部直納課に勤務する職員であることを確認する。訴訟費用は被告の負担とする」との裁判を求める。

第二請求の原因

一、被告(以下会社と略称する)は生命保険業を営む相互会社であり、訴外三井生命従業員組合(以下組合と略称する)はその内勤職員をもつて組織された労働組合で、全国生命保険労働組合連合会(以下全生保と略称する)に加盟している。

原告は会社の本社料金部直納課に勤務する従業員で、また組合の本部地区に所属する組合員であつたところ、昭和二八年五月一八日に同月一五日附で東京第二支社へ転勤を命じられた。

二、右転勤命令は会社が原告の組合活動を嫌悪し、これを困難にし組合を圧迫したもので労働組合法第七条第三号に該当する不当労働行為であり無効である。

(一)  転勤命令には合理的な理由がない。

会社における人事異動は毎年四月一日に行われる慣例であるのに本件転勤はこの時期をはずれているばかりでなく、平職員が交代人事として他の営業所に転出させられた事例はかつてなくただ特に営業所の新設閉鎖、定員の過不足、勤務員の退社、長欠等の場合に限られた。しかるに本件は平職員である原告を交代人事として何等特別の理由なく転勤させたもので従来の慣例に反する特異のものである。

会社は転勤の理由として東京第二支社岩井田次長が原告を懇望したこと、原告の自宅の近いこと、本支社間の人事交流の必要をあげているが、右懇望の事実はなく、自宅の近い本社勤務者は原告に限られず、原告と同年輩の者は本社入社以来支社に出ないのが普通で、原告の属する料金部からの転出は極めて稀であつた。また教育を目的とする人事交流など従来はなく、原告及び森島が最初である。

更に会社は転勤の理由として地盤開拓のため本社審査課勤務の岡本を広島支社に転勤させたことに伴う一連の異動であつて、常本を広島支社から本社料金部へ、原告を本社料金部から東京第二支社へ、森島を東京第二支社から本社審査課へ、それぞれ転勤させたというが、合理性のないもので虚偽の理由である。すなわち内勤職員の岡本が広島へ行つたからとて地盤開拓に未経験かつ若年である点から適任とは言えないし、同人の出生地が尾道であるといつても広島市に居住するのであるから募集地盤の開拓の便はなく、又森島の転勤の必然性をもたらすわけでもない。なお森島の後任として三名の候補をあげ支社長同次長が相談して選択するというのも異例で、不自然な作為としか考えられない。

右のように本件転勤にはなんら業務上の合理的必要性がないのに拘らず殊更に異例の措置に出たところを見れば業務上の理由の外に他の意図が推測される。

(二)  原告の組合における地位と活動

原告は昭和二三年七月組合員となり、その後間もなく本部地区副委員長となり、ついで青年部副部長、中央委員、本部地区委員長、青年部長などを勤め、全生保においては全生保大会、中央委員会に代議員として出席、全生保青年部副部長、同部長に選ばれた。本件転勤命令発令当時は本部地区委員長、中央委員、青年部副部長、全生保青年部長の地位にあり、その組合活動は活溌で全生保加盟の他の組合からも高く評価されていた。

(三)  会社の原告および組合に対する態度

イ 原告に対して。

本件発令当時の料金部長山崎は活溌な組合活動が原告のためにならぬ旨原告に述べたことがある。溝江人事課長は原告が共産党員ではないかと組合員猿田輝文に尋ねたことがあるが、同課長は会社の指示により主婦の友誌上に会社の採用方針として本人はもちろん家族も資本主義を肯定するものでなければならないとの意向を掲載させているので、共産党員の疑いをかけられた原告は常に会社から注目されていた。また会社は組合活動に熱心なものの多い文化サークルである劇研究会を圧迫していたが、原告は同研究会の中心人物であつた。さらに会社は昭和二八年四月に賃上を実施したが、原告の賃上率及び同年一二月の賞与の能率部分をいずれも平均以下としている。以上のように原告が会社から常に好ましくない者として注目されていたことは明らかである。

ロ 組合に対して。

会社が対組合関係の衝に当らせている者は組合役員の経歴を持ち組合内部事情に精通している。すなわち、山崎総務部長、溝江人事課長、土居総務課長は組合執行委員や副執行委員長の経歴を有し、加藤人事課次長は青年別働隊員であつた。また会社は組合のビラ、ニユース等を丹念に募集し組合掲示を写しとり検討している。会社は職制を利用したり、嫌がらせ的行動によつて組合の弱体化を図つていた。

(四)  本件転勤命令は抜打的である。

会社組合間にかつて締結されていた労働協約第一二条には会社は組合役員の人事に関し予じめ組合と協議のうえ実施する旨定められ、協約失効後も内示して協議を行う慣行となつていた。原告は本件発令当時本部地区委員長、中央委員であつたが、中央委員は規約により組合役員であり内示すべき者であるのに何らの内示(非公式の内示も)なく発令された。このように特異の措置に出たのは会社の不公正な意図を疑わせるものである。

(五)  転勤時の組合事情

本件転勤命令は組合内部の対立により組合の抵抗力の最も弱い時期になされた。すなわち組合は昭和二七年春季賃上闘争のスト以来執行部と一部組合員との意見が対立し更に昭和二八年春季闘争においてその対立が深刻化した結果、執行部全員が辞任し次期改選に加わらぬことが同年五月一三日頃決定され、混乱していた時であつた。なお原告は従来の執行部と立場を同じくする者であるが辞任した執行部員でなく青年層の信望を集めていたので役員改選にあたり新執行部に選出される可能性が大きかつた。

(六)  転勤による組合活動の阻害

本件発令の翌日は本部地区代議員の改選日であつたので転勤命令により原告はその被選挙資格を失つた。そして東京支社以外の支社(東京第二支社も含む)からは執行委員を選出しない慣例であつたので執行部に選出される期待は阻害された。また東京第二支社は本部地区でなく関東地区に属し、かつ青年部は本部地区だけに存するので、本部地区委員長、青年部副部長の地位も失い、さらに全生保青年部長も選出母体を失うので辞せざるを得ない。

本社は組合員の三分の二を擁して組合活動の中心であり組合の動向は本社地区の動向によつて決せられる実状で、支社の組合員数は平均三、四名の小数であつてその影響力は本社と比較にならず、また事務多忙であるため組合活動は著るしく制約される。支社への転勤は飛ばされると称して組合員の嫌うところで殊に組合活動の故に支社へ転勤させられることとなると半永久的に本社へ帰れなくなるのが過去の事例であり、本件の転勤が是認されると活溌な組合活動家は支社に出されるという懸念を一般組合員にいだかせることとなり、組合活動の沈滞をもたらすことは当然である。このことは本件発令を多くの組合員が不当であると感じ「やられた」と考え組合活動をすると不利益を受けるとの印象を受けていることからも明らかである。

第三答弁

一、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする」との裁判を求める。

二、請求原因第一項の事実は認める。

三、請求原因二の転勤命令が不当労働行為であるとの事実は否認する。本件転勤命令は業務上の理由にもとづく適正なものである。

(一)  転勤命令の理由

1 会社の広島支社長はかねて地方拠点開拓の便宜上同地方出身の優秀社員の配属を要望し、昭和二十八年五月初め尾道出身の本社審査課勤務岡本義行の配属を希望して広島支社勤務常本勇三との交代人事を申し出た。そこで溝江人事課長も右支社長の申出を受け入れることとし右両名の異動を中心に異動案の作成を加藤人事課次長に命じた。

2 本社審査課は支社経理を統括する重要な課なので岡本の後任に東京第二支社勤務の森島孝明を充てることとし、森島の後任として人事交流の方針も加味して本社より男子職員を転勤させることとし、その一応の基準として森島と同様積極性のあるほぼ同一入社年度の通勤に差支えない者として加藤より人事課長に原告、宮坂光一、土屋雪次郎の三名を候補として報告した。たまたま人事課長が同年五月十三日頃藤本東京第二支社長と会い、三名の候補について意見を徴したところその翌日岩井田第二支社次長から原告を希望する旨の回答もあつたので、原告を森島の後任とし、役員会の承任を経て発令したのである。

3 原告は森島と同じく昭和二十三年四月に入社し、年令学歴ともほぼ同様で、入社以来支社の経験もないので適当な時期に支社業務を体験させることが望ましく、その性格も対外務員との折衝に適任と考えられ、自宅も中野なので支社通勤に便利である。

(二)  原告の二、(一)以下の主張事実について。

1 原告の異動は異例でない。会社は毎年四月一日に幹部職員を中心とする相当数の異動を行うほか、随時必要に応じて小異動を何回となく行つており、その理由も原告主張のようではない。

教育のための異動はないというが教育のためのみの異動ではない。料金部からの転勤は稀ではない。

地盤の開拓は内勤社員が直接行うのではないが、内勤の縁故関係等を利用して拠点の確保につとめる実例は多い。森島の転任に必然性がないというが人事は広い裁量の下に適格者を選定するものである。後任者決定に参考として関係支社長の意向をきくことも行われる。

2 原告の組合活動について。

本件発令当時原告が中央委員であるとの点をのぞきその主張のような地位にあつたことは認めるがその余は知らない。

3 会社の原告と組合に対する態度について。

イ 原告が劇研究会の中心人物であつたことは知らない。人事課長が主婦の友誌上に原告主張のような採用方針を示したことは認め、その余は否認する。

ロ 山崎、溝江、土居がそれぞれ原告主張の組合役員であつたことは認めるがその余は否認する。

組合役員であつたのは全従業員が組合員であつた昭和二十一年頃で、そのために組合事情に精通することはない。会社が組合のビラ、ニユース等を受取つたことはあるが組合弾圧のために丹念に蒐集したり写し取つたりしたのではない。

4 転任の内示について。

昭和二十四年八月末日失効した旧労働協約に組合役員の人事について予じめ組合の諒解を求める規定の存したこと、協約失効後も組合三役、執行委員、監事の異動について内示をしていたことは認めるが、その他の組合員(中央委員にも)については公式にも非公式にも内示の慣行はない。かりに原告が中央委員であつたとしても内示は不要である。

5 転勤時の組合事情について。

昭和二十八年春賃上交渉のあつたこと、同年五月執行部の辞任したことは認めるがその余の点は知らない。

6 組合活動の阻害について。

原告が東京第二支社に転勤した場合組合活動が極めて困難になることは否認する。支社からは執行委員が選出されない慣例も存しない。

以上のように本件異動は業務上の理由に基く極めて平凡な異動に過ぎず、その理由は公正妥当なものであるから何等非難される筋合はない。

第四証拠関係〈省略〉

理由

第一当事者間に争いない事実

被告は生命保険業を営む相互会社であること、訴外組合はその内勤職員をもつて組織された労働組合で全生保に加盟していること、原告は会社の本社料金部直納課に勤務する従業員で、組合の本部地区に所属する組合員であつたが、会社より昭和二十八年五月十八日に同月十五日附で本社より東京第二支社に転勤を命じられたことは当事者間に争いがない。

第二争点

原告は右転勤命令は会社が原告の活溌な組合活動を嫌悪しこれを困難にして団結を阻害し組合の運営に支配介入したものであると主張し、被告はこれを争う。ところで右転勤命令が支配介入に当るかどうかは諸般の事情を総合的に検討して判断すべきであるので、以下本件転勤命令前後における原告の組合活動、会社の組合に対する態度、転勤の組合に及ぼす影響並びに転勤命令の業務上の必要性等について検討する。

第三組合活動とこれに対する会社の態度及び転勤による影響

一、原告の組合活動

証人下川寛、猿田輝文の各証言及び成立に争いのない甲第五、六、七、一〇号証によれば、原告は組合本部地区副委員長、青年部副部長、中央委員、本部地区委員長、同議長、青年部長、全生保の大会代議員、青年部副部長、同部長等を歴任したことが認められ、転勤命令当時原告が組合本部地区委員長、青年部副部長、全生保青年部長であつたことは当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第一号証(組合規約)と甲第一〇号証によれば本件転勤命令当時組合中央委員であつたと認められる。

二、会社の原告及び組合に対する態度について。

イ  原告に対して。

原告が請求原因二、(三)イに主張する山崎料金部長の発言、溝江人事課長の猿田輝文に対する発言、及び原告の給与について会社が他の社員と差別して不利益に扱つた事実はいずれもこれを認めるに足りる証拠がない。却つて成立に争いのない乙第一八号証の一の記載によれば、溝江人事課長は猿田に対し原告が共産党員でないかというような発言をしたことのないことが認められる。

次に証人林健、安羅岡里子の証言によれば原告が劇研究会の有力な一員であつたこと、同研究会には組合活動に熱心なものが多かつたことが認められる。従つて劇研究会に対する圧迫は組合活動の圧迫と見れないではない。しかし右証人の証言中会社が劇研究会を圧迫したとの点は伝聞による抽象的な表現でありたやすく信用できない。もつとも同証言によれば新入社員が劇研究会に加入したところ間もなく会社側からその社員の保証人を通して脱会を勧告したので右社員は脱会したことが認められるが脱会勧告の理由が不明であるので右事実をもつて原告らの劇研究会による組合活動を圧迫したと認めることはできない。従つて原告の立証によつては会社が原告の組合活動を注視したとの点を認めることはできない。

ロ  組合に対して。

山崎総務部長、溝江人事課長、土居総務課長がかつて組合の執行委員ないし副執行委員長であつたことは当事者間に争いがなく、証人加藤重吉の証言によれば同人が青年別動隊の一員であつたことが認められる。しかし証人土居又次郎の証言によれば、右山崎、溝江、土居らが組合役員であつたのは昭和二十一、二年頃従業員全員が組合員であつた頃であると認められるし、加藤の証言によれば青年別動隊は組合の一組織であるとは認められない、したがつて組合役員経歴者の一事をもつて同人らが組合事情に精通しており、会社が組合の運営に影響を与える意図を有したということはできない。

次に会社が組合のビラ、ニユースなどを入手したことは当事者間に争いがないが、証人下川寛、渋谷たけの各証言によるも特に組合の運営に干渉する目的をもつて丹念にこれを蒐集していたとは認められない。また同様の意図によつて組合掲示を調査したとの点を認むべき証拠はない。

三、転勤時の組合の事情

正しく作成されたと認むべき甲第二七、二八号証の各記載と証人下川寛、渋谷たけ、渋谷益左右、横田光雄の各証言によれば昭和二十七年より組合内部に意見の対立があり、昭和二十八年春季闘争においてストを決行しようとした執行部に対し一部組合員の批判がなされかつ団結が弱かつたため闘争目的は殆んど達成されなかつたことから執行部に反対する一部組合員は執行部の引責辞職を要求し、これが容れられないときは組合を脱退する意向を表明したので、その解決のために渋谷益左右ら当時の執行部は全員辞任して次期改選には立候補しないこととしていたことが認められる。右改選のための代議員選挙が本件転勤命令発令の翌日である五月十九日に行われたが、原告は従来の執行部と同じ立場に立つて右に立候補していたことは渋谷たけの証言によつて認められる。

しかし会社において右組合の内紛に介入したこと及び原告の右立候補を知つていたことを認むべき証拠はない。

四、転勤による原告の組合活動の制約

組合の組織上本社は本部地区、東京第二支社は関東地区に属する(このことは弁論の全趣旨より争いのないものと認める)ので転勤により原告は本部地区委員長、本部地区選出代議員の資格を失うものと認められる。証人猿田の証言によると、組合には本部地区のみに青年部が存在し、全生保は個人加入でないので、転勤により青年部関係の役職にもとどまれないこと(原告はその後も全生保青年部長であつたがこれは本件係争中であるからであること)が認められる。

なお証人渋谷たけ、下川寛の証言及び同証言により代議員並びに執行委員選挙結果表と認められる甲第二九、三〇号証によれば原告は転勤命令発令直後の代議員選挙に相当の得票を得て当選し、定期総会における執行委員、監事の選挙にも立候補して当選はしなかつたがやはり相当の得票のあることが認められ、その結果よりみて執行委員に選出される可能性は大きかつたと言える。しかし原告の主張する支社からは執行委員を選出しないとの慣例はこれを認めるに足る証拠がなく、(証人下川のこれに反する証言部分はその後の部分と対照すると措信できない。)かえつて成立に争いのない乙第七号証と証人下川、土居の証言によれば、その他の支社から選出の事例も認められる。したがつて転勤命令がなければ原告が執行部に必ず選出されたとにわかに断ずることはできない。

また会社が執行部選挙に際し特に原告の選出を妨害する意図を有していたことを認むべき証拠はない。

後記のように原告の異動案は五月十二、三日頃に構想され、同十五日に決定、十八日に発表されているが、執行部の立候補辞退決定が五月十三日で、代議員選挙は十九日であり、証人下川、横田の証言によれば反執行部派の候補推選は十八日、執行部系の推選は十九日である。したがつて会社の異動決定に原告の立候補が考慮されたと推測するのは早計である。

証人渋谷益左右、中村愛子の証言によれば、支社は本社より(特に退社時に)若干多忙であり、又本社と離れているため組合活動が従来より不便となることが認められる。

第四転勤命令の業務上の必要性とその経緯

一、業務上の理由

成立に争いのない乙第五号証同一八号証の一、同二二号証および証人加藤重吉、藤本彰の証言によれば、転勤命令の理由は次のようである。

当時被告会社広島支社長であつた吉沢敬三は同支社の業績を向上させるためかねてより尾道市方面の地盤開拓の必要であることを考え、そのために本社から同地方に縁故のある内勤職員を同支社に転勤させるよう求めていたが、昭和二十八年五月六日ないし八日の支社長会議に上京の際会社溝江人事課長にこの点を強く要望し、尾道市出身で当時病気療養中であつたが近く出社可能ときいた本社審査課職員の吉岡隆美の転勤を求めた。人事課長は吉岡はなお当分静養を要する状態で今すぐは不適当であると答えたので、同支社長はさらに他の適任者を求めたところ、同席していた加藤人事課次長が審査課の岡本義行は元広島支社勤務で尾道市出身の筈であると述べた。そこで支社長は岡本の勤務ぶりなどを聞き優秀な職員であるとのことなので、あらためて岡本の転勤を要求し、人員が不足なら交換人事として広島支社勤務の常本勇三が本社勤務を希望しているからそれを転出させても良いと申し出たので溝江人事課長は考慮を約した。その後同人事課長は右支社長の要望を妥当と考え、常本を本社に、岡本を広島支社に転勤させることとし、右に伴う人事異動案の作成を加藤人事課次長に命じた。加藤次長は、右案に基き岡本の後任として審査課に補充すべき者を考慮したが、同課の重要性に鑑み入社後日の浅い常本は適任でないと考え、人事交流の方針も加味して東京第二支社勤務の森島孝明を審査課に移すこととし、森島の後任として森島と同程度の年令、入社経歴及び新宿にある東京第二支社に通勤可能であることなどを基準として土屋雪次郎、宮坂光一および原告の三名を候補とする構想を立て、支社長会議の数日後の五月十二、三日ごろ溝江課長の問に対して右の腹案を報告した。溝江課長はその翌日本社に来た藤本彰東京第二支社長に森島を本社に廻したいと話したところ、同支社長は始めは困ると言つたが結局了承し、その代り佐藤光雄をほしいと言うので、人事課長は従来の職歴からも具合悪く、又佐藤は組合の書記長でもあるので難かしいと述べ、加藤次長をして森島の後任補候を告げさせた。藤本支社長は帰つて岩井田支社次長と相談したところ、同次長は、宮坂は知らない、原告および土屋とは一緒に仕事をしたことはあるが、支社の性質上外務員との接触が多いので原告が適当と思うとの意見であつたので、その翌日三人の候補中では原告を希望する旨溝江課長に伝えた。そこで森島の後任を原告と定め、その他は前記構想どおりの異動案を作成した。溝江課長は山崎総務部長に異動案を説明し、その際原告の組合における地位についても話はでたが組合に内示を要する地位でないので差支えないだろうということで役員会に廻し、五月十五日に原案どおり決定し、事務の都合で五月十八日辞令が渡された。以上のような経緯を認めることができる。成立に争いのない乙第三号証の一、二、三及び乙第四号証によれば、前記宮坂、土屋、原告の三名は森島と年令、学歴、入社年度もほぼ同様で、いずれもその住居が新宿通勤に便であることが認められ、成立に争いのない乙第五号証、第六号証の一、二および証人加藤重吉、小瀬尚徳の証言によれば原告の執務は能率的で応対型であり、転勤可能と判断されていたと認められる。

もつとも成立に争いない乙第五号証、証人佐藤光雄の証言によれば、原告の転勤命令発令二、三日後佐藤が岩井田次長に原告を要望のたのは本当かと尋ねたところ、(原告の転務についての会社、組合の団交の席上、会社は岩井田次長が原告を懇望したことを理由の一としてあげたことが佐藤の証言により認められる)岩井田次長はこれを否定したことが認められるので、このような発言は右認定事実の真実性を疑わせるが同証拠によれば右発言は二、三分の立話の際のことであつて、岩井田次長は人事に関する内部事情をそのような機会に公表するのは不適当と考え又候補の三名中から原告を選択したに過ぎないので懇望の点を否定的に回答したことが認められる。したがつて右発言を以つて前記認定を覆えすことはできない。

右認定事実によれば本件転勤命令は業務上の必要から出たものと認むべきである。

二、右転勤命令は異例の措置であつて転勤の必要性がないとの主張について。

原告は本併転勤は時期的に異例であると主張するが、成立に争いのない乙第一八号証の一、同第二号証、証人加藤の証言によれば会社の人事異動は当時毎年四月一日定期に行われたほか、随時相当回数行われていることが認められるので、異例の処置とは認められない。

次に原告は平職員の転出ないし料金部よりの転出は極めて稀であると主張する。証人加藤の証言によると原告と同期に本社に採用された者の転出は当時尠かつたと認められるが、そのごの例も合せると異例とは認められず、証人加藤、小瀬の証言によれば料金部からの転出は少ないとは認められない。

原告は教育目的の異動は異例というが、異動理由は前記認定のとおりであり、証人加藤の証言によれば人事交流の方針を加味し、入社以来支社勤務の経験がない原告に支社勤務をさせることは原告および会社双方のためと考えたことは認められるがそれのみが理由でないし、又教育を加味した人事が異例である旨の充分な立証はない。これに反する証人下川寛の証言及び同証言により同人と猿田の作成と認められる甲第四号証の理由は同人の判断であつてとることができない。その他原告の転勤命令に特に異例な点があると認めるに至る証拠はない。

三、転勤の内示について。

原告は組合役員の異動については会社より組合に内示する慣行があり、中央委員、本部地区委員長であつた原告については当然内示すべきであるのに会社はこれをしないと主張し、会社は組合三役、執行委員、監事以外の組合員の異動には内示の慣行はないとこれを争う。原告が中央委員、本部地区委員長であつたことは前記認定のとおりであり、内示のなかつたことは当事者間に争いがない。しかし本部地区委員長はもとより中央委員の異動について内示する慣行のあつたことを認めるべき証拠はなく、かえつて成立に争いない乙第一八号証の一、二、および証人加藤、土居の証言によれば、組合三役、執行委員、監事の異動については組合に内示しているが中央委員については内示をしていなかつたことが認められる。証人佐藤光雄、下川寛、渋谷益左右の証言も中央委員について内示のあつた例もあるとの趣旨で(これが内示に当るとは前記の各証拠に照し認めがたいが)内示の慣行を立証するものではない。

第五結論

以上認定した事実によれば、第三判示の如く原告は活溌に組合活動をなし、当時の情勢では執行委員に選出される可能性もないではなかつたほどであるので転勤の結果組合活動の面では相当制約されるに至つたものと認むべきであるから、本件転勤命令に合理的根拠が認められないときは右転勤は団結を阻害する意図をもつてなされた不当労働行為であることを疑わせるであろう。そして本件転勤についての団体交渉の席上会社より岩井田次長の原告転勤懇望によるとの説明があり他方同次長は佐藤光雄に対して懇望の事実を否定したこともあるので労働者側において本件転勤について不当労働行為の疑いを抱くのは無理もないといえないではない。しかし第四に判示したように、会社の原告に対する本件転勤命令は業務上相当の理由があるというべきであるので、(原告は必然性がないと主張するが転勤命令に必然性を要するとは考えられない。)このこととその転勤の時期、手続等の点を検討しても不当な意図を疑わせるような作為性、不自然性を認めることができないこと及びとくに被告が平素から原告の組合活動を嫌悪していた事情の認められないことを考え合せると被告が原告の組合活動を困難にし団結の運営に干渉する意図又は認識をもつて転勤を命じたものと認めるに足らず、却つて業務上の必要に基いてなした措置と認めるのが至当である。

すなわち転勤の結果原告の組合活動が前記のように制約されることはその転勤が業務上の必要性に基くかぎりやむを得ないものというべきである。しかして労働組合法第七条第三号にいわゆる支配介入の成立には団結の運営を阻害する意図又は認識を必要とすると解するのが相当であるところ、本件転勤命令はこれを欠くものと認められるのであるから、同号の不当労働行為に該当するとする原告の本訴請求は理由がない。

よつて原告の請求を棄却することとし、訴訟費用については民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 西川美数 大塚正夫 花田政道)

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